賢者の選択 リーダーズ倶楽部事務局
受付時間 平日9:30~18:00
今回は新春特別例会と銘打ち、第一部は新生阪神タイガースの現役投手コーチの久保康生氏による講演、第二部は新年を寿ぐ鼓の調べに良き年を祈念し、重要無形文化財総合認定保持者の大倉正之助氏による講演&鼓をご参加頂いた皆さまに体験して頂きました。
第二部では若年女性に圧倒的人気を誇る東京ガールズコレクションのチーフプロデューサーである株式会社W media 代表取締役 村上氏に「イベントを基軸にしたガールズマーケティング」について迫力あるプロモーション動画を交えてご説明いただきました。
基調講演テーマ
これまでの野球人生の中で最も重要だったのは、熱意を持って取り組むということでした。これを最初に感じたのは昭和49年、柳川商業高校に入学した年の夏のことです。当時私達は高校野球の名将で知られた監督の下、毎日遅くまで厳しい練習の真っ最中でした。その中で同級生が倒れ、そのままこの世を去ってしまったのです。本来なら廃部さえありえたところ、亡くなった同級生のご両親からの強い要望のおかげで野球部は存続する事になりました。そこから私達は、絶対に亡くなった同級生を甲子園に連れて行こうと一丸となりました。結果として翌年、春の選抜高校野球、さらにはその翌年の夏の甲子園の出場権を獲得できたのです。
卒業の際、監督がくれた言葉は今でも覚えています。「少し頑張ったら愚痴を言う奴がいる。もう少しだけ頑張ってみるんだ。そこでやっと知恵が出て来る。」
プロに入団してから3年目、所属していた近鉄バファローズが日本シリーズに出るその直前に、「お前はこのままじゃダメだ」と、監督からアメリカ行きを言い渡されました。当時は非常に悔しかったですが、結果としてアメリカで投球方法を大きく変える機会を得ました。
それからプロ10年目の年、先発していた試合で肘に激痛が走ったのです。靭帯の剥離骨折が判明し、急遽再建手術をしました。しかしこの時のリハビリを通じて、体の負担の少ない投球方法を身につけることができました。その後、35歳に再度肘を故障した時も手術を行いました。そのリハビリを兼ねて渡ったアメリカの教育リーグで、本格的に指導者という道を考えるようになりました。そして40歳で現役を引退した後、コーチとしての人生をスタートさせたのです。
そして今、私は自分の熱意が絶対冷めない限り、選手も自分も成長できると確信しています。私もあと2年で60歳です。その時までにさらに確固たる自分を作り上げたいと考えております。
我々の伝統芸能というのは、まさに日本の歴史の流れに沿った形で育まれてきました。私が今回持ってきた皷は室町時代から代々継承されてきたものです。皷の蒔絵は漆を使ったものであり、胴には桜材を使っています。漆は湿度を保ち膨張・伸縮をするので、まさに日本の気候に合致した材質です。また皷には馬の皮と麻の繊維でできた紐を使用しますが、これは演奏の度に組み立てます。皮を常に張っているとストレスで弱くなり、また胴の中も密封されることでカビや腐敗が進んでしまうのです。大陸から渡来してきたこうした道具や文化を、戦国時代・江戸時代と通じて日本人は究めていき、形にして遺してきました。
そうした文化に変化が起きたのは、明治維新以降のことです。欧米の文化が急激に入ってくることにより、日本古来の伝統文化の精神は急速に失われていきました。また戦後、様々なメディアの発達により情報が俊敏に伝わるようになった過程で、日本の多くの価値観や生活スタイルが激変していきました。
最近になって、文科省は学校の授業に邦楽器などを取り入れることで、日本古来の考え方に触れる機会を増やそうとしております。私もそのカリキュラムの作成に協力し学校にも訪問しましたが、まだまだ普及には遠い道のりがあると感じているところであります。
そんな中、近年ではエコロジーやサステナビリティといった言葉が世界中で聞かれるようになり、循環型社会を目指すようになっています。ところが日本では、そうした文化はすでに江戸時代でピークを迎えていたのです。里山の管理や果ては我々のし尿に至るまで、まさにゼロ・エミッションの社会が実現していました。そうした時代に後戻りしているというわけではありませんが、この時代の流れを興味深く観察しています。