賢者の選択 リーダーズ倶楽部事務局
受付時間 平日9:30~18:00
今年最後の催し物となりました12月例会は、ザ・リッツ・カールトン大阪にて開催いたしました。メンバーズスピーチでは、株式会社ディー・エル・イーの椎木隆太氏にご登壇いただき、2001年の起業から東証一部上場、東京ガールズコレクションの商標取得を果たし、日本を代表する「ファスト・エンタテインメント・カンパニー」となるまでの経緯をお話しいただきました。
スペシャル講演では、ジャーナリストの上杉隆氏に、アメリカ大統領選におけるトランプ陣営の取材秘話からニューヨーク・タイムズ時代に叩き込まれた「ジャーナリストの5原則」、日本のジャーナリズムの危機などについてお話しいただきました。
講演内容
私は1991年にソニーへ入社して以来、約10年間で数々の経験をし、同期入社の中で1番の出世頭でもありました。そのため2001年に退職する時には多くの人から心配されたのですが、当時私は勘違いをしており、自分の力を過信していました。
そして2001年に起業を果たすのですが、当時の役員に会社を追放され、娘2人と妻がいるのにも関わらず路頭に迷ってしまいました。その後の3年間は、まさに暗黒時代とも言える屈辱の日々でした。
しかし今思えば、この大きな挫折で私は生まれ変わることができました。自分自身じゃ何もできない、人の助けあってこそだと思い知ったのです。同時に仕事に対する感謝や謙虚な姿勢、どんな仕事にも全力に取り組むことの大切さを知りました。こうした気持ちは、今もディー・エル・イーの基本理念として掲げています。
私は4つの力を大事にしています。過去の商習慣や常識などのしがらみに囚われない「しばられない力」、コミュニケーションや交渉で人・企業を巻き込む「つなげる力」、発想を形にする「やりきる力」、あらゆる場面で柔軟性を持つ「しなやかな力」です。特に「しばられない力」については、過去に縛られた発想には未来はないと常に考えています。
この発想は子育て・教育にも活きています。私の娘は「女子高生起業家」として知られる椎木里佳です。彼女には、私のソニー時代のような「勘違い」をさせたいと思い育ててきました。身の程を知り常識人が溢れている日本の中で、彼女には自分の意思を重視し、大きなビジョンを持って欲しかったのです。そういった意味では私にとっての最高傑作は弊社で仕掛けている様々な企画以上に、私の家族だと思っています。
私は1999年にニューヨーク・タイムズ東京支局に入局し、2000年の大統領選挙を取材して以来、毎回現地で大統領選挙の取材をしています。今回の選挙ではトランプ陣営の党員集会を追ったり、トランプタワー内にある選対本部のメディア戦略の責任者である人物に取材したり、トランプの選挙を内側から見てきました。日本ではヒラリーの当選が間違いないと言われていましたが、現地のジャーナリストや海外メディアの仲間と話すと、ニューヨークは確かにヒラリーだが、ハドソン川を渡るとトランプ勝利の雰囲気が漂っている。現地に来て取材をしたほうが良いと言われました。日本の報道にはあまりに偏りがある。世の中のすべてのことは多面的であり多元的であり多様性がある。その両方をできるだけ公平に報じることがメディアの役割。これは私がニューヨーク・タイムズ時代に学んだことです。
当時の上司からは「ジャーナリストの5原則」を叩き込まれました。1. ソース(情報源)を可能な範囲で提示すること 2. クレジット(引用・参照元)を示すこと 3. バイライン(署名)をいれること 4. コレクション(訂正欄)を設けること 5. オプエド(反対意見)を掲載すること。どのメディアも間違いを犯すし、ジャーナリストの仕事は自分が見たもの、取材したことを名前を出して伝えること。提供した情報を判断するのは読者なのです。
政府等の公的な記者会見をアンフェアに占有している「記者クラブ」は日本独特のシステムで、この実態をなんとか改善したいと思い、記者クラブ改革を掲げて自由報道協会を立ち上げたり、NOBORDERという会社を立ち上げ、記者クラブとは異なるルートで情報をもたらす仕組みづくりや若手のジャーナリストの育成に取り組んできました。言論が一元化して偏ってくると、国や社会も一元化していく。その後にあるのは独裁や戦争です。だからこそジャーナリズムは多様性を作り出さなければいけないと強く思っているんです。
※運営事務局にて一部抜粋したものを掲載しております。