賢者の選択 リーダーズ倶楽部事務局
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第一部メンバーズスピーチでは、還暦を超えてから異分野の介護事業に挑戦し、近畿圏と首都圏で約80の介護付有料老人ホームを展開されているチャーム・ケア・コーポレーションの下村社長に年齢を重ねてもなお挑戦し続ける独自のスピリットをお話いただきました。
第二部スペシャル講演は、株式会社クオリア・コンサルティング、代表取締役社長の大塚久美子氏に「サスティナブル経営時代の家具ビジネスと住まい」についてお話いただきました。
講演内容
私が昨年、半導体戦略推進議員連盟を立ち上げたのは、菅総理が訪米し、バイデン大統領と会談が行われた中において、半導体について、今後、日米で連携して一緒に推進していこうという話があったことがきっかけです。自民党内にその議員連盟がなかったので、甘利議員らを通じて立ち上げる運びとなりました。
私の座右の銘は3つあります。一つ目は「常不信」です。何事においても、本当にそれは正しいのか?と自問自答することで、鵜呑みにせず、決断が早くなるよう習慣づけることです。二つ目は「直ぐやる・必ずやる・出来るまでやる」です。これは日本電産の永守氏の有名な言葉ですが、とても共感し、社訓のように各事業所の壁に貼ってあります。そして三つ目、「念ずれば必ずや花開く」です。念ずるだけでなく、ペンを取り、紙に書き、その言葉を頭に入れることで夢の実現や目標達成へのモチベーションになります。
祖父が創業した下村建設を継承することが決まっていた私にとって、学生時代から、特に建築学科という理系への大学進学は新たな挑戦でもありました。元々、文系気質な私は、4年生になると、建築学科の必須である卒業設計を回避するために、大阪・西成の釜ヶ崎のスラム問題をテーマに卒論を書くことで認めていただきました。毎年のように暴動が起こる治安の悪い地域に3ヶ月間、毎日のように潜入取材を行い、日雇いの建設労働者の実態などを調査したのですが、今となっては他では得られない貴重な体験をしました。
無事、大学を卒業し、下村建設を継承する事前の修行を兼ね、別の中堅ゼネコンに就職しましたが、学生時代からの海外渡航の夢を捨てきれずにいました。この夢の実現のため、渡航費を貯め、祖父を説得し、1年間の猶予をもらい、中堅ゼネコンを退社、アメリカに行き、見聞を広めることができました。ただの旅行ではなく、グレイハウンドバスの割引チケットを利用し、3ヶ月間かけて建設会社30社を見て回ったのですが、自ら趣意書を書き、大学教授に推薦状をいただき、各州の商工会議所に紹介依頼を行い、実現するに至りました。
その後、1969年に日本に帰国し、下村建設に入社します。翌年のちょうど大阪万博の年に取締役になり、その4年後の30歳の時に社長に就任することになります。若さゆえに、夢と希望に燃え、ひたすら事業拡大に邁進していました。売上高、施工高の大きな会社ほど良い会社であるという風潮もあり、当然、私もそこを目指して事業計画を立てていきましたが、背伸びした事業計画はどこかに歪みが生まれ、予算達成できず、その穴埋めに無理をして仕事を取ってきては赤字になるという悪循環に陥りつつありました。祖父から継承した会社を潰すわけにはいかないと、38歳の時に一大事業転換を決意し、量より質を目指し、改修工事・リニューアルに特化した事業展開に切り替えました。暫くは売上も低迷したのですが、内容重視の事業を継続していくうちに利益も出るようになりました。
ちょうどその頃にやってきたのがバブル全盛期です。大手ゼネコンが巨大建築事業を数々手掛け、羽振りの良い時代、下村建設にも様々な新築工事のお声掛けをいただいたりもしたのですが、私はそのお誘いを固辞し続けました。やがてご存知のように、バブル崩壊とともに、建設業界が一気に厳冬の時代へと突入していきます。多くが倒産に追い込まれ、新築工事は激減し、生き残った会社はリニューアル事業に参入するようになります。下村建設はバブル崩壊の影響はほとんど受けなかったので、内部留保と銀行からの借入金で暴落した不動産をたくさん購入しました。今度は、その家賃収入で社員の経費を賄うことでできました。このようにして、順風満帆な安定した経営を継続することができたのです。
そうして、いよいよ還暦を迎え、残りの人生を考えた時に、何かやり残したことがある、これで人生を終えていいのかという思いを抱くようになりました。ある時、私が世話役を務めていた異業種交流会にて介護コンサルタントのお話を聞き、介護保険法改正のタイミングも相俟って、社会貢献できる介護事業、これだと思い立ち、新事業を立ち上げる決心をしました。その時、私の背中を押してくれた言葉があります。「企業は賭けである。あらゆる事業のもくろみは、闇の中への飛躍であり、勇気と信念を必要とする行為である。事業に関する決断は、人を過去に拘束するものではなく、未来の形成に一歩踏み込ませるものである P.F.ドラッガー」ところが、家族に相談するも、皆大反対でした。しかし、「人がやっていることであり、私にできないことはない。始めなければ何も成せない」という信念を持って、決心が揺るぐことはありませんでした。
株式会社チャーム・ケア・コーポレーションを設立し、創業18年となります。創業7年目でジャスダック上場を果たしました。介護付有料老人ホームに特化し、今期の運営数が86ホームとなるなか、現在、16ホームの自社物件を所有しています。業界トップレベルの高い入居率は今でも継続しています。近畿圏だけでなく、2014年からは首都圏にも進出し、ドミナント戦略のメリットを活かし、東京と神奈川に限定して付加価値の高いホームを展開しているところです。また、成長戦略として、既存事業だけでなく、不動産事業にも進出し、またAI対話技術を有するWellvillというAIスタートアップ企業に出資し、将来的に介護事業に活かす新分野も計画しています。いよいよ、弊社も創業期から成長期に移行し、今後さらなる業容拡大を目指していく所存です。
最後に、ややもすると、企業の安定を求めるとチャレンジ精神を喪失させる嫌いがあります。現状に甘んじることはすでに停滞が始まっていると言っても過言ではありません。経営者が変化を恐れ、挑戦するマインドを失ってしまうと、やがてその日から企業は衰退の道を歩むでしょう。「チャーム・ケア・コーポレーション(CHARM CARE CORPORATION)」の3つの「C」は「チャレンジ・チェンジ・チャンス(CHALLENGE・CHANGE・CHANCE)」の「C」でもあり、まさしく「挑戦し、変化すれば、好機が訪れる」というダブル・ミーニングとなっています。経営者にとって何が一番大事なのか。事業に対する意欲とチャレンジ精神がある限り、これからも頑張っていきたい。夢の実現のため、「念ずる」だけでなく、「直ぐやる・必ずやる・出来るまでやる」。まさに生涯青春、一生挑戦です。
◆下村 隆彦 氏 プロフィール
株式会社チャーム・ケア・コーポレーション 代表取締役会長兼社長
1943年生まれ。高知県出身。65年大阪工業大学工学部建築学科卒業。
建設会社勤務を経て、69年祖父が創業した下村建設入社。
73年同社社長就任。2004年チャーム・ケア・コーポレーション設立、社長就任。
祖父から引き継いだ下村建設を経営していたが、還暦を超えてから異分野の介護事業にチャレンジ。2012年にジャスダック、2018年に東証一部に上場を果たし、今年に4月に東証プライム市場へ移行。
建設業から異分野の介護事業への挑戦は周りから反対されたが、持って生まれたチャレンジ精神で一度決めたことをやり遂げる実行力と、時代の先を読む先見性と決断力に優れていたことが結果につながった。現在は本業の介護事業に加えヘルスケア・デベロップメント事業、AI会話ロボット、アバター事業等新規事業へ積極的に取り組み、複合企業を目指し、新たなチャレンジを行っている。
2020年大塚家具の代表取締役社長を退任し、現在は株式会社クオリア・コンサルティングの代表取締役社長としてコンサルティングを中心に活躍されている大塚久美子氏に、これからの時代の住まいや家具ビジネスについてお話いただきました。クオリア・コンサルティングは、家具・インテリアと住まいを中心テーマに、マーケティング、人材開発、経営管理、企業間の事業連携サポート、新規事業の立ち上げ、IPOサポートなどを行っています。
◆大塚久美子 氏 プロフィール
株式会社クオリア・コンサルティング 代表取締役社長
1968年桐箪笥の産地である埼玉・春日部生まれ。1歳の時に創業された大塚家具の店舗の隣の倉庫内の住居で幼児期を過ごし、以後、家業と家具に囲まれて育つ。
1991年一橋大学経済学部卒、同年、(株)富士銀行(現 (株)みずほフィナンシャルグループ)入社、融資業務、国際広報などを担当。
1994年家業である(株)大塚家具に入社。1996年取締役就任。経営企画、広報、IR、教育研修、経理、商品開発などの責任者を歴任。10年間で売上と社員数が3倍になる急成長期に、組織・仕組みづくり、インテリア人材育成のプログラムづくりなどを自ら手がけた。
2004年大塚家具を退社。2005年(株)クオリア・コンサルティング設立、代表取締役就任。
2009年3月(株)大塚家具代表取締役社長就任。
就任6年目に約半年社長職を離れるが、2015年1月代表取締役社長に再任。
2020年12月退任、(株)クオリア・コンサルティング代表取締役社長に復帰。現在に至る。
一橋大学 経済学士(1991年)
筑波大学 法務博士(2012年)